幻の港~野蒜築港~

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野蒜築港って知ってますか?
たぶん知ってる人はかな~り少ないと思うんですが。。
僕もついこの前まで知りませんでした。

野蒜築港というのは、明治時代のはじめ
宮城県東松島市(旧鳴瀬町)の鳴瀬川河口に造られた港です。
明治政府が、東北地方の開発・振興を目的に、
東北最大の国家プロジェクトとして
日本最初の近代的洋式港湾として建設したもので、
宮城県東松島市(旧桃生郡鳴瀬町)の鳴瀬川河口に位置していました。

もし無事に完成していれば、この野蒜築港のあった旧鳴瀬町

『現在の神戸・横浜規模の都市に成長していたに違いない』

とも言われています。

明治政府の殖産興業政策の下に、
東北の最重要拠点として計画・建設が進められていった野蒜築港。
当時の代表的貿易港であった長崎・横浜港に先んじて、
国家プロジェクトとして明治11年にスタートしました。
4年後には、鳴瀬川河口に東西2本の防波堤が建設され、
鳴瀬川と北上・東名両運河の開削、新市街地の造成が行われ、
第1期工事としての内港地区が完成(開港)し、活況を呈したそうです。

引き続き、国際港を目指しての発展が期待されていましたが、
明治17年に台風が直撃。港は壊滅的な打撃を受けてしまいます。
これを受けて、明治政府は資金不足のため、外港建設はもちろん、
復旧工事にも着手しないまま築港の建設を中止。
計画から8年の歳月と、現在推定約60億円がパーになり
野蒜築港は幻の港となってしまったわけです。。

というわけで、今日行ってきました。野蒜まで。
もちろん原チャです。連休真っ只中の松島あたりの大渋滞をくぐり抜け、
仙台からおよそ1時間半強。
正直、
え?こんな所にそんなでかい港が??
てな感じのところでした。
現在の東松島市浜市字樋場地内に位置する旧市街、
旧市街と言っても往時をしのばせるものは残っていません。
ただただ草むらが広がり、所々に記念碑などがありました。
↓の写真の場所がかつて市街地が広がっていたとされる場所なんです・・
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あとはレンガ積みのかつての橋脚跡も残っていました。

かつての市街地跡の看板にはこう記されています。
『この一帯は「市街地」といわれ、野蒜築港事業の一環として都市計画街路が縦横に区画された。
銀行、商店、米取引所などが軒を連ね、往き交う人馬で空前の賑わいを呈した。
ここが市街地の中心にあった公園の跡である。
現在は野蒜築港に身命を捧げた「黒澤敬徳の碑」と工事に使用したローラーに往時をしのび、
激浪の中に幻のごとく消え去った築港の夢と先人のの苦闘を語りかけてくれるだけである。』